曖昧なところの上で
どーも、今朝の相模原の事件でショックを受けているユウです。
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あんまり詳しく書きたくないし、自分の考えについて書きたいから、Yahoo!ニュースなりlivedoorニュースなりを見てほしい。
私は一応「障害者」ではあるけど、生まれてから二十数年は「健常者(定型発達)」と信じて疑わず生きてきた。
診断が確定してから、障害者手帳をとるまで1年近く悩んだ。
「健常者」と「障害者」には大きい溝や隔たりや壁があるみたいで。
あえて壁を作ってしまう必要があるのか?
なんて考えたり。
いざ手帳をとってみたら、自分が変わるわけでもない。
ただ、障害があることによって、健常者時代には気づかない壁や隔たりに気づいた。
私が強く感じたのは
「世の中には障害者に対するヘイト(憎悪、嫌悪)がある」 ってこと。
19人の命を奪った人は、
『障害者なんて安楽死させればいい』
って言ってたらしい…。
職場でどんなことがあったかは、知らない。
だけど、ヘイトで気に入らない属性の人を傷つけるとか、攻撃するとかが許されるわけない。
「障害者なんて安楽死」って理屈がまかり通ったら、「障害者」の部分が色々変わって、それこそ社会問題のヘイトスピーチ(憎悪表現)として広がって、気に入らない人に心ない言葉を浴びせる、攻撃する、排除する、最終的には実力行使で消すことになりかねない。
考えるだけで怖い。
障害があっても、なくても、みんな曖昧なところの上で生きてることには変わりない。
「健常者」と言われてる人でも、明日には障害を持つかもしれない。いや、脅しとかでなくて本当に。
自分だけは違う、って思うのは大間違いで、みんな不確実性の中で生きてるのには変わりない。
何度も言うけど、自分と違う属性の人だから排除しようって考えは許容されるものじゃない。
それで何人の人が過ちを犯し、何回血が流れてる?
うまく言えないけど、違う属性の人と共に生きる、共にあることを頭の片隅に留めて、頭にくることがあったら冷静になるまで離れてみて、腹が立った理由を整理してから、また試行錯誤していけば…私も含め。
今回、理由なく命を奪われ、人生を失った19人の方に、心から哀悼の意を示すと共に、安らかであることをお祈りいたします。
真面目に考えていたら、気が遠くなりそうだけど、忘れてはいけない。
そいじゃ、また。