ユウの余裕しゃくしゃく?

アスペ持ちアラサーの日々を書き留めるチラシの裏。

Our Koji, our pride

 どーも、 J1が終わって、広島の残すタイトルは天皇杯だけとなって、冬⛄の訪れを感じるユウです(・w・)

前回のアビスパ福岡戦を控えて、森崎浩司のことを書きたかったけど、「千葉和彦(千葉ちゃん)のドーピング疑惑」をどうしても書きたかったから、ずいぶん後回しになってしまった( ´Д` )

もうこのブログ読んでる人なら知ってると思うけど、森崎浩司が、このシーズンをもって、17年の現役生活にピリオドを打つ。

 引退する平均年齢が25.6歳だから、35歳まで続けられていいじゃないか、と思うかもしれない。

でも、浩司は、特別なんだ。

広島一筋で、 ユニフォームを脱いだ「ワン・クラブ・マン」は下田崇(現GKコーチ)以来だけど、広島ユースから昇格して、引退まで過ごしたケースは初めてだから、ね…(´・ω・`)

(シモさんは広島皆実高校出身。森重真人増田卓也のすごく先輩にあたる)

今回の浩司の引退で、番記者の中野和也さんの記事と、フリーの原田大輔さんの記事をリンクつけさせてもらう。

(中野)

http://www.soccerdigestweb.com/news/detail1/id=19864

https://news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/12197212/

(原田)

森崎浩司は、兄・和幸と並んで広島ユースの傑作として、将来を嘱望されていた。

実際、森崎和幸の台頭で世代交代の波が起こって、現役生活を続行するために移籍した森保一(現・監督)のつけていた「7」を背番号として15年近く背負っていた。

最初はプレッシャーもあっただろう。

けれども、周りの期待通り、いや期待以上の活躍をした。

アテネ五輪の代表に選ばれたこともあった。

でも、オーバートレーニング症候群が次第に彼を蝕んでいった。

オーバートレーニング症候群は、治った!?と思ってまた無茶をするとぶり返す、厄介な病気。ひどい場合は慢性疲労症候群になりかねない。

何度も引退が頭をよぎるし、 普段の生活もままならなくなる。

生きる気力もわかない。

地獄のどん底にいても、手を差し伸べる人、待っていてくれる人がいたから、ここまで続けられたと本人が言っていた。

 ミハイロ・ペトロヴィッチ体制の時に、今の可変5バック(3-4-2-1)の原形ができた時に、カズは「ドクトル(博士)」、  浩司は「シェフ」と呼ばれた。

それだけ、今の広島のシステムが作られ、発展していく過程で、欠かせない人だった。

素晴らしい左足があっても、苦悩が深かったと思ってる。

何時間でも時間をとって話を聞いてくれたり、早朝の吉田サッカー公園でのランニングに付き合ってくれたりした、ポイチさん(森保一監督)がいたから、どんなときも支え合い、競い合ったチームメイトがいたから、中でも同時に生を受けた一番のライバルであり、理解者でもあった森崎和幸がいたから、支えてくれる家族がいたから、森崎浩司は17年のサッカー選手としての生を全うできた。

 

まだまだ広島のシーズンは終わっていないし、天皇杯は残っている。

浩司の引退のはなむけに、天皇杯のタイトルをとりたい。

 

次に7番を背負う人は、 私(ユウ)個人の意見としては、

「選手としても、引退後も、広島の顔であり続けられる人」

につけてもらいたい。

適任者はきっと強化部が選ぶだろう。

 センチメンタルになってばかりはいられない。

明日大阪に行く荷作りがまだある…。

究極、スーツケースは機内持ち込みサイズだけど、ダメなら預ければいいし。

 だけど荷物は軽くしたい!

そいじゃ、また。