置かれた場所で花咲かすために
どーも、新商品の作り方のデモンストレーションに指名され、ドギマギしたユウです(・w・;)見られながらやるのって緊張するわー…。
さて、たまに「アスペルガー症候群のアラサーのチラシの裏」らしいことを書く。
↑
詳しい話はここから見てほしい。時が流れても、まだまだ話せないことが多いから、そこを理解していただければ、と。
この女性の話は、他人事とは思えない。
自分に最適化されたスペースがあれば、耳栓の使用が認められれば、そして何よりも心ある人が彼女を支えていれば、と「たられば」しか出ない。
最適化されたスペースを与えられず、耳栓の使用も認められず、弾力的な休憩時間の運用も認められず、特性に合わせた支援も受けられず、心ない人に幾度も攻撃されたかと思うと、自分の過去がフラッシュバックしそうになる。
「ノーマライゼーションとか、障害者に未来を」とか言ってる場所に限って、障害を持つ同じ職場の人間に寛容じゃない。
特に「親方日の丸」なところでは、戦力どころかお荷物扱いだ。
テメェらだって、次の瞬間に障害を負ったり、障害がある事実が白日の下にさらされるかもしれないのに、だ。
確かに、「戦力」としてカウントしてもらえるようになるためには、本人の血の滲むような努力は必要だ。
だけど、「心ある人が支えてくれる中で」「その人に最適化されたやり方やスペースで」「特性を踏まえた上で」など、ここでは書き尽くせないほどの努力を受け入れる側もしなきゃ、障害を持つ人は、置かれた場所で花咲かすことはできない。
お互いに努力しないと、障害のある人間は、社会で認められやしない。
彼女は理不尽な状況下で、血反吐を吐くような努力をした。
杓子定規の対応をされれば、仕事へのモチベーションを失ったり、それこそ退職につながりかねない。
指導役が隣にいて、日誌に本音書けないなんて、場面緘黙がなくともパワハラだろ。
私は社会に出る時に躓いた。
第一の理由はミスマッチだったんだろうけど、
「茶島ユウさんがどんな人か」
「ユウさんはどんなことで困っているか」
「ユウさんが快適に働くことができるように職場で何ができるか、ユウさん本人ががんばるポイントはどこか」
これをうまく伝えられなかった。
当時は、発達障害を疑いつつも、まだ定型発達だと信じていたから、悟られまいと必死だった。
今まであまり言えなかったけど、日常的にパワハラされていたし、自分の生まれ育った街や卒業した学校をバカにされたり、同じ教科の先生を持ち上げてからケチョンケチョンにディスられたり、まあいろいろされた。
本当に定型発達なら受け流せたことでも、私は本当に許せなくて、悔しくって、悲しくって…。
実は診断がおりた時、心理士さんに
「勤務先に書類を送る封筒は、病院名がプリントされていない、無地の封筒にしてほしい」
と頼んだ。
「アウティング」が怖かった。
※アウティングとは…本人が知らないところで他の人に話してほしくない事情(思想信条や恋愛対象とかで問題になることが多いけど、私の場合はアスペルガー症候群であること)を勝手に漏らすこと。
願いも空しく、あっという間にアウティングがされてしまい、針の筵だった。
築港市だったら、アスペルガー症候群を持っていても、「私はこんな人間です」「このポイントが難しいです」「こういう配慮をお願いしたいですが、私も努力します」と言ったら、雇用してくれる会社はあるだろうか。
…何を信じればいいかわからない。厚生労働省の機関でも杓子定規、四角四面を求めて障害のある人を追いつめるなんて。
暗澹たる気持ちになるけど、来月大阪に行った時に、あべのハルカスの展望台に行って、パインアメソフトを食べることを考えよう。
アスペ持ちでも、置かれたところで支えがあれば一花咲かせれる、と証明する術は、展望台から見える景色を眺めていれば見つかるかな。
そいじゃ、また。