ユウの余裕しゃくしゃく?

アスペ持ちアラサーの日々を書き留めるチラシの裏。

ピカピカの1年生

どーも、大学時代のゼミ教官のお孫さんがピカピカの小学校1年生?になって、ずいぶん時間が経ってしまったなぁ…としみじみ感じたユウですヽ(・w・)ノ
そんな私も、小学校1年生になった日があるのです。
時は19XX年4月6日。
私は築港市立白鳥平小学校(仮名)に入学した?
前年に父が家を建てたのだが、白鳥平小(仮名)があるのが大きい要因だったらしい ( ̄▽ ̄;)
社宅が手狭になったのが大きかったんだけど。
母に手を引かれて、髪の毛をふたつ結びにして、ピンクの入学式用の晴れ着を着て、祖父母から買ってもらった真新しい赤いランドセル?を背負って、白鳥平小(仮名)に行った。
教室に入ったら、自分の名前が書いてある机のところに座って下さいと書いてあった。
「ちゃじま ゆう」…あった。
そこに座ったら、平たい紙袋が置いてあった。
「入学おめでとうございます」
…何入ってるんだ?
教科書?が入ってた。
同じような一張羅を着た、「同級生」という人がゾロゾロ入ってきた後に、担任の先生がやってきた。
母より5歳ぐらい若い、優しそうな女の先生だった。
お話を聞いてから、先生を先頭に体育館にゾロゾロと入ることに。
何か「お兄さんお姉さんたち」の呼びかけがあったり、記憶がおぼろげ。
それから2年間このクラスで過ごした。
楽しい日々が永遠に続くと思ってた。

大学を出て、築港市に帰ってきて数日後。
母が泣きそうな顔で新聞を持ってきた。
「ユウ…?」
新聞の開かれた面には、「おくやみ申し上げます」と書いてあり、全道の亡くなった人の名前が書いてあった。
築港市…え?ウソでしょ!?
富田先生(仮名)の名前が書いてある?
母と一緒にしばらく泣いた…。
ウソであってほしい、と思ってた( ´д`ll)
あんなに優しかった先生が?
「みんなのためならがんばれる」って言いつつポンポンをスズランテープで作ってた先生が?
時にはビシッと叱ってくれる先生が?
ひらがなを教えてくれた時も、名前の欄の見本に、自分の息子さんや娘さんの名前を書くような先生が?
息子さんの初めての運動会の日も、私たちの運動会とかぶって、結局私たちのほうを優先するような先生が?
会場に向かうバスの中でも、そう思ってた。
会場に着いて、コートかけにコートをかけて、ホールに足を踏み入れるまでは。
写真を見たら、ウソじゃなかった( ´ ; ω ; ` )
「ユウちゃん、大きくなったね…元気にしてた?」
って言いそうな顔をしてた…?
他のクラスの担任の先生方と、ただ号泣するほかなかった。
お通夜が終わって、お見送りにご家族が立ってたんだけど、旦那さん(小学校の先生)、ひらがなの練習の名前の欄の見本に出てきた息子さんと娘さん、そして一番下の小学生の娘さんが並んでた。
お子さんたちは3人とも、どことなく先生に似た顔立ちだった…。
旦那さんに、
「小学生の時、白鳥平小で本当にお世話になりました…」
と言ったら、
「ありがとうございます」
と号泣しながら言われた。゚(゚´Д`゚)゚。
小学生の時の日々は帰ってこないし、時間というものは各人に平等に流れていることを突きつけられた…。
今生ではもう先生に会えない。
だけど、先生から学んだものは消えない、そう信じるほかなかった。

それから5年後。
私(茶島ユウ)は3度目の転職をし、父は定年を迎え、朝にボーッとしながらテレビを見ていた。
番組のコーナーのレポーターの声が、今となってはもう聞けない、富田先生の声を若くしたような感じだった。
名前が出てたけど、「富田」さんだった?
フルネームで見ると、ひらがなの練習で、先生が書いてた名前だ…。
先生、見てたかなぁ。
お嬢さん、レポーターやってますよ!!!
もしそちらに電波が届いて、テレビがあるなら、朝は早いですが見てみて下さい。
一生懸命仕事に励む姿が、私が言うのも何ですがそっくりです。
私は新しい目標に向かって、自分なりに進んでいます。
30歳という年齢が現実味を帯びてきても、「本当になりたかった自分になることに遅すぎることは決してない」と日々感じて、生きています。
1年4組のメンバーで、早くそちらに行ってしまったヤツもいますが、私はまだまだそちらに行ける気配がありません。
おばあさんになって現れても、「ユウちゃん、ここ数十年どうしてた?」って聞いて下さい。
基本的に、小学生の時に思ってたほどは変わってないので。

何だか切なくなってしまった…。
先生のお嬢さんを見てから「とと姉ちゃん」の主題歌で、宇多田ヒカルの「花束を君に」を聴いて涙ぐんだのは、ここに書いておく…。

今日は風邪気味だけど、病院帰りにスタバまで足を運んで、大好きな人へのプレゼントを選ばないと!
そいじゃ、また。