ユウの余裕しゃくしゃく?

アスペ持ちアラサーの日々を書き留めるチラシの裏。

阿斯伯格綜合症的成長(小学校)

[Asperger]

こんばんは、ユウです。
タイトルの「阿斯伯格綜合症」は中国語でアスペルガー症候群を言ってみただけ笑
何てったって、診断おりたのが成人後だから、療育とかSSTは一切受けてない(・・;)
「阿斯伯格綜合症的成長」は、5回くらい書く予定。
就学時健診の視力検査で、動物の頭の向きを答えろと言うのに
「ウマ🐴」
「シカ」
「イヌ🐶」
と、空気を全く読まずに、大きさで答えて、母に恥をかかせて半年。
何にも引っかからず、地元の小学校に入学した🎒
それも通常学級。
今みたいに、特別支援教育の対象が広くなかったし、「変わった子」でも生きていける寛容さがあった。
入学から2年間いたクラスは、ある意味「変わった子」ばっかりだったからな(;・∀・)
「ユウちゃんは、○○だね」
と、担任の先生にほめられることがけっこうあった。
たまにパニック発作起こしても、うまく落ち着かせてくれたり、係活動を任せてくれたり、いい先生だった(*´˘`*)♡

ところが小3になった時、担任が旧式なおじいちゃん先生に変わる。
授業中にキョロキョロすると、何かしくじると、黒板の隅っこに
「ユウ 正」と書いていく。1画ずつ。
最初こそ1画=5分と言うレートで、正の字が1つできたら居残り( ノД`)
私の最大居残り時間、25分。
見せしめ的にやられてた感じがする😒
さらに、おじいちゃん先生は、テストの点が悪いと、できるまで居残りさせた。
私は算数の作図のテストで55点とって、居残り。
コンパスと定規📏で、悪戦苦闘。
今思えば平面図形が苦手だったんだけど、苦行以外何でもなかった😭
図工の木版画で板でなく指を彫り、不器用さがヤバい。

教室の外では、音楽同好会で居場所を見いだした。
その時つるんでた友達と、楽しく合唱に励んでた✨
今でも歌うことは大好きで、もしチャンスと体力があれば、ゴスペルに挑戦してみたいなー、と思ってるぐらい😚

小5、小6。
クラスのカーストで最下層になる😞
空気が読めず、クラスでとにかく浮く。
そのことで、理不尽な目に遭った。
罵詈雑言を浴びたり、汚れ仕事を押しつけられたり、「お前のよそった給食食いたくない」って言われたりした(-_-#)
仕返しに児童会選挙で造反したけど、担任にバレて叱責された。
クラスで主犯を推してるのに、と言われた。
私は大人になってしばらく経つまで、造反は悪いのか?と考えていた😱
考えが相容れなければ、別クラスの子に投票してもいいじゃん…。ってね。
あと、当時の私は、(なぜか)流行りのブランドの子供服を着れば、理不尽な目に遭わないと思い込んでた。
だから、
「○○(ブランド)の子供服買って!!!」
と親にねだり、ダメって言われたら、
「それ着ないとクラスでいじめられる」
と泣いた。
結局、買ってはもらえなかった😢
親は、私が変な思い込みしてたのがわかってたんだと思う。
だけど、それだけにしか焦点がいかない。
何かにつけバカにされるから、言い返すのが精一杯😢
テストでいい点を取ればいじめられることはないと信じてがんばっても、裏切られる。
それでも、バカにされる材料がなければ、理不尽な目に遭わないと信じてた😥

クラスでは居場所がなくて、カースト最下層だったけど、音楽同好会ではメゾソプラノで比較的声がよく出るからって、ポジションはあった。
それにあぐらをかいてサボったことがあったけど、顧問の先生の喝で、また練習に打ち込むことができた。
今思えば居場所を失い、不登校になる所だった(›´ω`‹ )

アスペ独特の「思い込んだら一直線」な思考で過ごした地獄のような日々が終わり、私は小学校を卒業した。
私を傷つけなかった幼なじみも、私に理不尽なことをしてきた主犯も、別の中学校に行くことに。
希望を胸に、中学校に進学したが、アスペがさらに顕著になるとは予想だにしなかった。
(阿斯伯格綜合症的成長、続く)